フリーランスになる決意の根底にあるもの

ABOUT

初めまして。大崎 憂(おおさき うい)と申します。1985年生まれの32歳です。以下、私の人生のあらましを記載しますのでお時間があればお付き合いくださいませ。

略歴

静岡時代

静岡県東部の平和で過ごしやすい片田舎に生まれ育ちました。大学を中退後、地元の企業にて事務職として勤務しつつ25歳まで何となく過ごしていた頃、例の東日本大震災が起こります。私の地元は震源地から離れているため直接的な被害はありませんでしたが、それでも連日のテレビ報道や、計画停電などを経験しているうち、私の気持ちに変化が起こりました。

 ・こつこつと築き上げてきたものが、一瞬にしてなくなることもある。
 ・やりたいことに思いっきり挑戦していったほうが、人生は有意義だ。

このときに強く感じた思いは、今でも私の根底にあります。人生には、大なり小なり決断が必要な局面がありますが、そのターニングポイントで必ず私の脳裏に過ぎる言葉です。

横浜時代

突然目が覚めた私は親元を離れ、単身で横浜に住み始めます。横浜を選んだ理由は、通っていた大学や、社会人専門学校(美容専攻)の所在地であったこともあり昔から慣れ親しんでいる土地だったからです。あとは単純に、憧れの都会のイメージも根強かったからかな。

横浜で、まず就職した職種はブライダルのドレスコーディネーターです。未経験でも可能だし、みなとみらいに店舗を構えていて煌びやかな印象に惹かれたのが第一の理由です。でも蓋を開けたらとんでもないブラック企業で(笑)身体と精神を壊しかけて早々に辞めました。

そして、その後に就職した不動産会社で4年ほどお世話になりました。その間、会社の所在地が都内だったこともあり、通勤の便を考慮しアクセスのよい土地へ引っ越しています。

千葉時代

千葉に住みながら前述の不動産会社で働いている間に、今の夫と出会いました。夫との出会いに関しては今回は割愛しますが、夫(横浜在住)と私(千葉在住)でそれなりに遠距離でありながらも順調に(?)愛をはぐくみます。

そんな中、現状では何の不満もなかった職場に疑念を抱き始めます。4年間勤務していたうち、結婚や妊娠を機に退職する女性社員を多く見てきたことに気付きました。確かに、制度上は産前産後・育児休暇も存在し、復職支援も記載があります。ただ、それが実際に機能していないことに不安を覚えたのです。

私のポジションは代役の利かない職種であり、私がもし妊娠して、育休を経て戻ってきたときに果たして居場所はあるのか?その答えは、現場が嫌というほど物語っていました。当時の恋人(現・夫)との将来を考え始めたとき、その会社の実態が今後の妨げになると考えました。

東京時代

私は将来的に、子どもを育てながら働くワークスタイルを理想としています。そこで、福利厚生が手厚く、女性が働きやすい職場環境という観点から次の勤務先を選び、転職しました。また、転職のタイミングで当時の恋人(現・夫)と結婚を前提に同棲を始めています。同棲開始から1ヶ月後に婚約、半年後に入籍、9ヶ月後に挙式と、トントン拍子に進みました。

仕事のほうは未経験の秘書業務でしたが、もともとの性に合っていたことや、上長にも恵まれ充実した日々を過ごしていました。

しかしつい先日、大幅な組織変更があったことで私の就労環境が激変します。初期の雇用契約の内容と180度違う職種となり、人事の体裁と現場の実態との板挟みの日々が続きました。人事の責任者に詰問したところ、パワハラともいうべき発言に遭い、会社に対する信頼をなくします。

 「会社っていうのはな、グレーなものなんだよ」

上場会社の人事の責任者がいうべき発言でしょうか?つまり、私の今回の人事もすべてグレーであると面と向かって名言されたようなものです。私が将来的に育休を経て復職した際に、居場所を用意する役割を持つ人がこれです。もう何も期待が持てなくなりました。

ただ普通に出産して、子どもを育てながら働くということが、サラリーマンの環境では難しいということを身をもって経験し、理解しました。それならば組織に属することをやめ、ひとりで仕事をしていこう。これがおおまかな経緯となります。

現在の仕事内容や、今後のビジョンについては続きをご覧ください。

大崎 憂

長いサラリーマン生活に終止符を打ち、2018年4月からフリーライターとして活動中。他にリモート秘書、株式投資など。妊活中。趣味はタスク管理と読書とゲーム(グ...

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